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ネタバレ 感想 第6回 「会津の決意」大河ドラマ 八重の桜  [ドラマネタバレ 感想 八重の桜 大河ドラマ]

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八重の桜 ネタバレ感想 第6 回

なんとも物騒な世相です。
安政7年の日本は、桜田門外の変
ニュースで、大騒ぎでした。

水戸藩の脱藩浪士と薩摩の浪士が、
桜田門にて直弼を暗殺したことで、
江戸の幕府では水戸藩討伐の是非が問われていました。

しかし、松平容保の進言により、討伐は
すべきでないとのことで藩意が決定しました。

さしずめ、現代なら新聞の一面トップを飾るニュースです。



確かに、脱藩した浪士の起こした暴挙ですから、
このことで藩を討伐するのでは、筋が通りません。
容保公の言うとおりです。

しかし、もっと心配なことは、一藩主の意見で、
幕府の政策がひっくり返ってしまうことでした。

「幕府の屋台骨も危ういものだ」

松平春嶽が嘆くのももっともです。

会津にも少しずつ時代の変化の波が
押し寄せてきているようでした。
しかし、やはりまだどこか、のんびりしていました。

八重の幼なじみだった山川大蔵(後の山川浩)の姉、
二葉の縁談が決まりました。
相手は藩の御用人、梶原平馬です。

梶原平馬、山川大蔵、そして山本覚馬は、
藩のこれからを支えていく主要な人たちです。

時代はやがて会津をドンドンと辛い立場へと
追い込んでいくことになります。
その手始めが、幕政への参加でした。

親藩の会津がこれまで幕政に加わることなど、
これまでなかったことです。

幕府はできもしない攘夷の実行を朝廷に
約束していました。

京都では攘夷派の活動が活発でした。
何が起こるかわからない不安な時期に、
幕政に参加するのは誰が考えても得策ではありません。

しかし、会津は頑固です。
ゲベール銃ではすでに時代遅れですのに、
なかなか鉄砲組の改革に、着手しようとしませんでした。
すべてが後手後手に回ってしまう。

さて、時は文久2年(1862年)となりました。
この年に、また一つ、日本を大きく揺るがす
大事件が起こりました。

薩摩の島津久光が1000人の兵を引き連れて
入京したのです。そして、さらに、朝廷の勅使を携えて
江戸に下り、武力を背景にして、将軍の上洛を促しました。

さらに、一橋慶喜と松平春嶽を幕政の中心に
据えるように仕向けました。
慶喜は将軍後見職に、春嶽は政治総裁職
つくことになりました。

この二人がまず考えたこと、それはこれからの
政治の中心地となる京都をどうやって
抑えるのかということでした。

まず、京都守護職を置くことが先決と考え、
その白羽の矢が、松平容保にあたってしまいます。
これは藩の一大事でした。

兵制改革が急がれるこの時期に、
割の合わない役目です。事実容保公は
何度も断ったのですが、春嶽は容保公に
まんまと乗せられてしまいました。

春嶽はなかなか痛いところをついてくるのです。
容保公は養子ですから、誰よりも藩祖保科正之の
定めたご家訓を大切に思っていました。

この家訓には幕府徳川宗家に忠誠
尽くすことを強く定めています。
ここを疲れては断れなくなることを
春嶽は知っていました。
知った上でねじ込んだのです。

この松平春嶽という人は、如才無い人のようです。
結局、彼は、戊辰戦争以降は、新政府軍に
汲みして動きますし、明治維新後もそれなりの
職を得ることになります。

最後の最後まで徳川と命運を共にした挙げ句
徳川慶喜にポイと見捨てられてしまう、
不器用で無骨な会津とはまるで違います。
無骨で頑固、でもどこまでも忠義一途の会津には、
辛いお役目ですね、京都守護職は。

ところで、山川浩ですが、この人は後に
とてもかっこいいことをやってのけます。

楽しみにしていてください。
会津戦争さなかにやってくれるんです。




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