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大河ドラマ 八重の桜 感想とこぼれ話 安政年間のできごと [歴史裏話 八重の桜 大河ドラマ]

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大河ドラマ 八重の桜 感想 こぼれ話



さて、時代はさらに進んで
変化しています。

この時期の変化のすさまじさは、
現代以上かもしれません。

時の将軍は家定です。
生まれながらに病弱で、
後継を設けることもできない人でした。




この殿様の奥方になられた方が
島津斉彬の養女篤姫でした。

明らかに政略結婚です。
篤姫は、かつての大河ドラマでも
取り上げられた立派な女性です。

江戸城の無血開城に際して、
皇女和宮とともに尽力した方でした。

お二人共、それぞれに夫婦仲は
至って良かったのだと伝えられています。

若干時代は前後しますが、
ペリー二度目の来航を機に、
幕府は日米和親条約を締結します。
1854年安政元年のことです。

12代将軍家慶(いえよし)が
薨去(こうきょ)したのが、
前年の嘉永6年でしたから、
本当に激動の時代に体の弱い、
しかも暗愚と噂されていた
家祥(いえさち)が徳川宗家を継ぎ
そして13代将軍家定となったのでした。

かのハリスが米国総領事として
渡航してきた時に家定が
謁見しましたが、それが安政3年のことです。

ところで、この原稿を書いている
丁度今朝方のこと、関西地方に
少し大きな地震がありました。

人は昔から、天変地変があるたびに、
天の怒りをおそれたものです。

図らずも、安政2年には、
関東でも大きな地震
(安政大地震)がありました。

やはり時代が騒然としていた頃ですから、
人々は天の怒りをたいそう恐れたことと思います。

この地震のために倒壊した
建物の下敷きになって
死去した人がいましたが、
その中に水戸藩士の
藤田東湖もおりました。

かの有名な安政の大獄の嵐
吹き荒れるのがそろそろ
この辺りからです。

そういえば、少し風が出てきたようですよ。




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