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ネタバレ 感想 第8回 「ままならぬ思い」NHK大河ドラマ八重の桜 [ドラマネタバレ 感想 八重の桜 大河ドラマ]

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ネタバレ 感想 第8回 NHK大河ドラマ八重の桜

攘夷などが叶うはずもないことは
もう誰もが承知していました

ただし、ずっと政治から遠ざけられていた朝廷は、
例外だったようです。本気で攘夷が叶うと
考えていたように見受けられました。

もちろん、中には承知の上で、もしくは
後ろ盾の西国諸藩に操られていたのでしょうか。







攘夷を幕府に約束させることで、幕府の立場を
悪くさせようとしていたとも考えられます。

例えば、公武一和のために皇女和宮が
下向したことは、とても有名な話です。

和宮が許嫁の熾仁親王との辛い別れを
乗り越えて幕府に嫁くことを承知したとき、
その交換条件が攘夷決行でした。

英名の聞こえ高い後見職の徳川慶喜も、
攘夷が叶うことのないことは承知していました。
承知の上で、天皇に拝謁を賜り、攘夷を
約束したのでした。

どうも一橋慶喜という男のやることは、
義に欠けるというか計算高いというか。
頭の良いことが良かったのかどうか。

文久三年三月三日、第14代将軍家茂が上洛し、
彼も天皇に拝謁します。

私は、この将軍家茂が気の毒でなりません。
無理と知りながら出来もしない攘夷を約束させられ、
妻の和宮との板挟みに苦しみ、国事に奔走し、
第二次長州征伐の途中に大阪城で若くして崩御されました。

太平の徳川の世に生まれていれば、
こんな苦労はしなくても良かったのです。

11代将軍家斉などは在位50年、
多くの妾と子宝に恵まれて、安穏に
暮らしていましたから。

幕末の将軍たちは、慶喜も含めて多忙多難でありました。
ただ、慶喜はフラフラと考えを変え、いうことが
コロコロ変わった上に、大正二年まで長生きしましたので、
私としては、それほど同情する気にはなりませんが。

さて、会津に話を戻しましょう。

この時期に、壬生浪士組(のちの新選組)が
会津藩お預かりとなりました。
幕府の集めた浪士の一党が
京都守護職の采配を受けたいとの
希望を申し出ていたのです。

将軍警護の行列の中で異彩を放つ
壬生浪士組ですが、彼らにすこし
剣呑な印象を覚馬は抱きます。

言うなれば人斬り集団ですから。
確かに京都の攘夷派の不貞な行為は
どうにかしなければなりませんが、
剣に剣で対抗するのはどうにも血なまぐさい。
しかし、他にこれといって良い考えも浮かびません。

幕府の役人たちも手を焼いていた
攘夷派の不貞な行動に、幕府の役人たちは
怖気ついていました。

一方、この頃になると勝海舟が頭角を
表し始めました。かつての貧乏旗本が、
今では千石取りの軍艦奉行並ですから。

「まるで下克上よ」

海舟は嘆きます。

「あいかわらず攘夷派が暴れている。
そんなに攘夷がしたけりゃ、エゲレスとでもメリケンとでも
戦をすればいいさ。開国するならする。攘夷をするならする。
その場しのぎの言いがかりばかりしていちゃ仕方あるめい」

馬関で長州がイギリスとの戦争で
こっぴどくやっつけられたのはこの頃のことです。

そんな折、三条実美と長州は、会津が
目障りでなりませんでした。

そこで江戸下向の偽勅を出し、一橋慶喜の
攘夷決行を説得するように仕向けます。

しかし、この企みを熟知していた孝明天皇は、
自ら筆を取り、誰よりも松平容保を頼りにしているとの
お言葉をしたため、内々に届けさせました。
忠義心の暑い容保公は、終生、孝明天皇への
忠誠を誓います。

折悪しく国元から西郷頼母が京都にやってきました。
再度守護職の辞任を進めるためでしたが、
結局藩主の怒りに触れて職を解かれてしまいました。

なかなか思うように行きません。
物事はままならないのはいつの世も同じです。







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