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大河ドラマ 八重の桜 あらすじ 会津の女は勇ましくも美しい [歴史裏話 八重の桜 大河ドラマ]

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大河ドラマ 八重の桜八重


会津藩の女性はとても勇ましくて
美しい方々のようです。
見た目も然ることながら、
生き方に、女性のロマンがあるのです。

かつて、八重の再婚の相手である
新島襄はこういっています。



「八重は生き方がハンサムなのだ」と。


ハンサム・ウーマンは、しかし
八重さんばかりではありません。

ここで、そんなハンサム・フーマンたちを
紹介してみたいと存じます。

まず最初のハンサム・ウーマンは、
中野竹子です。

この女性の名前を知っている人は
あまりおられないと思います。


才色兼備で、しかも薙刀の達人。
江戸生まれの彼女は、とにかく
モテまくっていたのだとか。


竹子がお風呂に入る姿を覗き見ようと、
男たちが群がり、そのことに怒りまくった竹子が
薙刀をもって追いかけたのだそうです。

勇ましい!

二人目のハンサム・ウーマンは
大山捨松
旧姓は山川咲子という方です。

この、山川という名前を見て
「山川浩」を思い出した方、相当、
八重の桜にはまっている方なのではないでしょうか。

そうなんです。
山川浩は「知恵の山川」と言われた、
会津でも屈指の藩士でした。
この山川浩が捨松の長兄というわけです。


さて、会津戦争で籠城戦になったとき、
まだ捨松は8歳でした。

城の中で、負傷兵の世話などを
手伝ったのだそうです。

その後、会津藩は斗南藩に国替えとなります。

貧しく厳しい生活を送る藩士たちですが、
捨松はまだ幼いからと北海道のフランス人の
家庭に里子に出されます。

その後、官費留学生としてアメリカに
渡ることになります。
捨松という名前の由来はこうです。
遠い異国に旅立つ咲子に、

「お前は捨てたものと思うが、しかし帰りを首を長ぐして待つ」

という家族の思いを託して、捨松と
名付けられました。ちなみに、
同じ時期に渡米し、大の親友となったのが
津田梅子でした。


また、後に結婚することになる人物は
かの薩摩藩士大山巌、新政府の
参議陸軍卿です。

数奇な運命に翻弄された大山捨松ですが、
結婚生活はとても幸せだったのだそうです。




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